「政治の師」の反対押し切って横浜市議選に立候補した過去
菅義偉が初めて国政の現場を垣間見たのは、1984年5月からのおよそ半年間だった。有力後援者からの推薦により通産大臣秘書官になった菅は、小此木のスキャンダルに見舞われる。小此木家の三男として衆院議員となった小此木八郎に聞くと、笑えるエピソードを教えてくれた。
「たしか親父が…
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