東と名乗る青年が遺した原稿用紙100枚におよぶ陸軍スパイの手記「防諜記」を見せられた
![旧陸軍省正門と建物(東京都千代田区の三宅坂、1934年ごろ撮影)。昭和16年以降は東京・市ケ谷に移転した(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/318/773/1cb0f41af2a27fc0658c1c41d6fd970b20230215130652072_262_262.jpg)
吉田茂の平河町の自宅には雪子夫人が住んでいたが、昭和16年10月に病死している。そのあとは女中頭が家の中の一切を取り仕切っていたというのだ。その女中頭の元に20歳の女性が女中の一人として、憲兵隊から送り込まれた。この女中は憲兵隊などで徹底した教育を受けていて、いわば有能なスパイ…
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