兵庫・斎藤元彦知事を巡る「疑惑告発文書問題」で2人目の職員死亡…安倍政権下の森友事件のような展開に
県は個人情報保護を理由に元課長が亡くなったことを公表しておらず、斎藤知事も会見で「遺族の意向で公表していなかった」と説明。だが、公表の判断はともかく、職場有志らによる「遺児育英資金」を募る動きにストップをかけるのは不自然ではないか。
■今の政治家が口にする「責任」とは一体何なのか
告発文書の問題が判明したのは3月末。詳しい理由は分からないが、2人の職員が亡くなったのは事実であり、異様、異常と指摘せざるを得ないだろう。
常識的な感覚を持った政治家であれば、自身に対する数々の疑惑が指摘され、因果関係は分からないとはいえ、職員が相次いで不慮の死を遂げたことついて責任を感じて辞職するだろう。それが「責任を取る」ということだ。
ところが斎藤知事はそんな気はサラサラなし。会見でも記者の質問をはぐらかしつつ、「さまざまな指摘や批判がある一方で、心から応援してくれる人もいるので、感謝しながら、しっかり県政を担っていくのが私のやるべき責任だ」などと言い放つ始末だ。