<第13回>恩師との初対面 そのやり方に抵抗があった
【連載】 鈴木明子 スケート人生「キス&クライ」
96年、小学校6年生の夏休み。すでに地元の愛知、中部圏の大会では表彰台に上がれるようになっていた私は、ひとつ上のステップを目指そうと、仙台で日本のトップ選手を指導していた長久保裕先生の夏季合宿に参加することにしました。
期間は1週間。合宿前の長久保先生に対する印象は「ジャンプの教え方に定評がある」と同時に、「怖くて厳しい先生」というものでした。当時、長野五輪に向けたテレビ番組で先生が指導する映像を何度か目にしたことがあったのですが、その姿は選手を怒鳴ってばかり。表情も常に怒っているように見えたからです。それまで女性コーチについた経験しかなかった私には、長久保先生のやり方に抵抗がありました。
しかも、先生の合宿には後に06年のトリノ五輪で金メダルに輝く荒川静香さん(32)や、長野、ソルトレークシティー五輪で活躍された本田武史さん(33)など、将来を嘱望されたフィギュアスケーターが大勢参加されていました。前年の小学5年で初めて全日本ノービス(12歳以下の全日本選手権)に出場、21位だった私が練習についていけるのか。不安と緊張が交錯したまま仙台に向かったことを今でも覚えています。