山内一弘が仰天「阪神ファンはポンと50万円くれるんだ」
あれは、今からならほぼ半世紀前だ。1975年、打撃コーチとして阪神に復帰した山内一弘(旧名・和弘)が練習が終わって、選手も記者もみなが球場を離れるのを待っていたように話し掛けてきた。
「おい、大阪の(カネもちの)タイガースファンってのは強烈だな。ポンと50万(円)くれるんだよ。現役時代、わしが阪神に入団してすぐ。本当にすぐ、今晩、食事などしませんかと(球団職員を介して)近寄ってきた。うれしいから素直に呼ばれたがね」
当時の50万円といえば、いまの500万円くらいだろう。
山内がタイガースの縦縞のユニホームを着たのは1964年。阪神のエース・小山正明と大毎の4番打者・山内一弘の1対1の交換は、世紀のトレードと騒がれた。
山内は「キミを信用できる記者と思っているから、昔話をしゃべるんだ。すぐ記事にしたら絶交だぜ」とクギを刺して続けた。
「わしはもう32(歳)になっていたから、多少、分別はついていた。しかし、あれが二十歳そこそこのやつらだったら、どうなると思う?」 =つづく、敬称略