バルセロナ五輪は銅…報告会の挨拶で思わず発言したこと
「私は素晴らしい君たちと試合ができたことを誇りに思う。この20人で戦える最後の試合、このチームの素晴らしさを見せよう」
1992年バルセロナ五輪準決勝で台湾に敗れた翌朝、私は3位決定戦の米国戦を前に選手たちにこう伝え、試合に臨んだ。
日本代表にとって最後のミーティング。悔しさに打ちひしがれ、うつむいていた選手たちの顔が上がっていくのが分かった。集大成となる3位決定戦で勝利。グラウンドで選手たちが胴上げをしてくれた。金メダルを取れなかった負い目はあったけれど、私は透き通るような青空の下、これでいいんだ、と自分に言い聞かせながら、5度宙に舞った。
■「今日だけは、この場だけは…」
帰国後、オリンピック報告会を開いた。84年ロサンゼルスは金、88年ソウルでは銀。キューバ、台湾を倒しての悲願の金メダル獲得はならず、銀メダルにも届かなかった。大いなる祝福ムード、とはならず、出席者の挨拶では「次のオリンピックこそは金メダルを」という声も出た。そういう雰囲気になることは、私たちスタッフ、選手たちも予想していた。
挨拶に立った私は思わず、「今日だけは、この場だけは、選手たちを褒めてやってください」と発言した。五輪に野球人生を懸け、身を粉にして戦った選手たちを思うと、こう言わずにはいられなかった。
やるべきことをすべてやり尽くしたものの、目標に到達できなかったという無念はある。しかし、20人のメンバー、全スタッフには「俺たちのチーム」という自覚があり、それが五輪で一つのチームとして結実したことは間違いない。
バルセロナ五輪後の92年冬、選手とスタッフが集まり、打ち上げの会を開いた。その際、みんながゴルフのパターをプレゼントしてくれた。パターには「山中監督がんばれ」とメッセージが刻印されていた。私の宝物であり、今もずっと使い続けている。