女子バレー曽我啓菜の武器は雪山で鍛えた強靭な下半身
曽我啓菜(女子バレーボール/19歳・NECレッドロケッツ)
「ドラマや映画で見てはいても、やっぱり人の多さに驚きましたね。最初は人混みがストレスでした」
2019年春に大阪府の金蘭会高を卒業し、神奈川県に本拠地を置くNECレッドロケッツに入部したアウトサイドヒッターの曽我は、上京当初をそう語る。
生まれは新潟県長岡市。7人きょうだいの4番目として育った。
「長岡市の中でも田舎の方です。もう山と田んぼしかない(笑い)。幼少期は自然の中で遊びました。オタマジャクシを捕まえたり、川遊びをしたり。小学生の頃は一山越えて登校していました。冬は雪遊びしながら帰ったので1時間以上かかっていたかな。あの日々のおかげで足腰がかなり鍛えられたと思います」
■廃部危機で中学を転校
母はバレー経験者、兄や姉たちは上から野球、剣道、バレーとスポーツに親しみ、曽我も7歳から競技を始めた。
地元の公立校・秋葉中へ進み、バレー部に入部。しかし、最初の夏を終え3年生が引退すると、部員はわずか5人になってしまった。「このままではバレーが出来ない。どうせならもっと上の環境でやりたい」という気持ちから、転校を決意。2年からは母の運転で新潟市内の公立校、下山中へ往復約150キロをかけて通った。
転校後に才能が花開き、全日本中学選抜メンバーに選ばれ海外遠征も経験。新潟県代表として出場したJOCジュニアオリンピックカップでは優秀選手に選ばれた。将来が期待されていた曽我は、選択肢の広さゆえ進路に迷いがあったという。
「高校は県外の学校に行きたいなという気持ちがあり、どこがよいかと悩んでいました。そんな時期に中学生選抜があり、仲良くなったのが金蘭会中の選手でした。『一緒に全国を目指そう』と誘われて、金蘭会高の推薦入試を受けることに。入学後はバレー漬けでしたよ。寮と学校を往復するだけで、街へ遊びにいくことはほとんどありません。休みは1年間で年末年始の3日間だけでしたから」
全国大会常連校の同校では1年からレギュラー入りし、2年、3年と女子バレーの甲子園「春高バレー」の連覇を達成。国体の大阪府代表としても、少年女子の部で2度の優勝を飾ったその才能は、海の向こうでも異彩を放った。U18世界選手権では世界3位のスパイク決定率を記録した。