ロッテ二軍コーチに就任 開幕半月で一軍行きを命じられた
ヤクルト入団時の監督は土橋正幸さんだった。高校を卒業後、浅草のストリップ劇場「フランス座」の草野球チームに助っ人として参加し、東京都大会で優勝。そこからプロ入りした異色の経歴の持ち主だ。江戸っ子気質でとにかく短気。みんな怯えながらプレーしていたが、私が現役最終年に在籍したロッテの山本功児監督も激情家だった。
テストでロッテに入団したはいいが、二軍生活が続いた。すると「来年は二軍でコーチとして選手を育成してくれ」と打診された。私は一軍の山本監督に「最終戦はベンチに入れてもらえませんか?」と直訴。20世紀最後の公式戦、2000年10月16日のシーズン最終戦で代打起用してくれた。
私は右中間へ二塁打を放ち、ベンチに戻ると、マリンスタジアムで「秦真司コール」が沸き起こった。ロッテでは何もできなかったが、温かいファンに感謝し、涙が止まらなかった。
翌01年はロッテの二軍打撃コーチに就任した。4月半ば、ファームの浦和球場で突然、平野謙二軍監督にこう言われた。
「今から一軍に行ってくれ。試合はナイター(午後6時開始)だから、急いで新幹線に乗って神戸に向かってくれ」