日曜ナイター後バスで7時間かけて群馬に帰ると…朝の6時に
ヤクルト時代の同僚・笘篠賢治から、「BCリーグ(プロ野球独立リーグ)を手伝ってくれませんか?」と連絡があった。2007年のことだ。
06年限りで2年間務めた中日のコーチを退任。時間はあった。BCリーグの理念は「地域貢献」「青少年育成」。3番目が「プロ野球選手を輩出する」だった。独立リーグの中には「全員がプロ野球選手を目指す」との目標を掲げる組織もあったが、正直、無理があると感じていた。BCリーグは私の考え方と合っていた。
立ち上げの初代監督ということで、まず地元・群馬県出身のスター選手だった渡辺久信さんに白羽の矢が立ったそうだ。しかし、西武の二軍から一軍監督に昇格するタイミングだったため断念。渡辺監督と私の共通の友人である笘篠が間に入り、オファーが届いた。
野球の前に資金繰りが大変だった。まずはスーツにネクタイを締めて県知事や各市長、企業などへ挨拶をして回り、スポンサー集めに奔走した。一番の大口はパチンコ店で、スポーツジムが選手のトレーニングを無料にしてくれたり、多くの地元企業、各地域の青年会議所、商工会議所、ロータリーの方々に支えられ、船出を迎えることができた。