日曜ナイター後バスで7時間かけて群馬に帰ると…朝の6時に
独立リーグといってもプロ球団ということで、当初は巨人などのNPB球団が使用する際と同じ1日200万円ほどの使用料を提示する球場もあった。
巨人戦のように3万人の観客が入れば払えるが、立ち上げ時のBCリーグは1日1000~2000人ほど。これでは割に合わない。当時の藤岡市長が私と同じ法大出身だったことから、市営球場を1日1万円と破格の値段で提供してくれて随分助けられた。
月曜を休みにし、火曜~木曜は練習。金曜は移動してナイター、土曜、日曜はデーゲームかナイターで、週3日ずつ練習と試合というスケジュールを組んだ。
移動は全て専用バス。一番遠い福井だと7時間、石川、富山なら6時間ほどかかり、過酷だった。NPBの場合、日曜はだいたいデーゲームだが、昼間は学生が球場を使用していることがあり、BCリーグはナイターが多い。宿泊費を削減するため、試合後にバスで群馬に帰ると、到着は月曜の朝4~6時になることがあった。
当時はNHKでメジャーリーグ中継の解説もしていた。日曜がデーゲームの際は、試合後に群馬から東京へ向かい、深夜2時や3時からスタジオで解説をした。朝の5時や6時になってくると、眠くなってきてガス欠を起こしたものだ。
ペガサスジュニアという野球教室を立ち上げ、そこからプロ野球選手が誕生した。