侍J率いる稲葉監督には当たり前の東京五輪金メダルの期待
試合終了は午後11時を回っていた。それでも閉会式でIOCのフアン・アントニオ・サマランチ会長が日本メンバーに金メダルをかけてくれた。これは異例なことだと後で知った。
今年は東京五輪イヤー。昔の私のように、大学生が出られるアマチュアの祭典であって欲しいが、時代は変わり、野球はオールプロで臨む。今度は日本が自国開催。勝って当たり前の立場である。率いる稲葉篤紀監督の重圧は計り知れない。私にとって法大の後輩でもあり、ヤクルトで共にプレーした男だ。
■息子の克則を見に行って発掘
野村克也監督が明大の息子・克則の試合を見に行った際、対戦相手だった法大・稲葉の本塁打を見てドラフト3位で獲得に至ったのが始まりだ。
走攻守のバランスが良く、入団当初は線が細かったが、体は強かった。よくバットを振るため、手はゴツゴツしていた。2年目の1996年に打率・310をマークし、レギュラーに定着。同じ外野手だった私は、あっという間に追い抜かれた感覚だ。ヤクルトで10年、その後FA移籍し、10年在籍した日本ハムで成功を収めた選手である。