1997年開幕直前 近藤昭仁さんから突然“引退勧告”を受けた
プロ野球選手はいずれ、ユニホームを脱がないといけない時がくる。私にとって、そのタイミングは不意にやってきた。
1997年の開幕直前、ロッカーに張り出された開幕一軍メンバーに私の名前はなかった。監督の近藤昭仁さんに監督室に呼ばれ、こう告げられた。
「これからは若手に切り替えたい。開幕したら二軍で若手の面倒を見ながら勉強し、来年からコーチをやってくれないか」
開幕直前に引退勧告をされたのである。
青天のへきれきだった。目標としていた1500試合出場まであと68試合に迫っていた。37歳を迎え、前年オフには、今年が最後の年になるかもしれないと覚悟を決めていた。出番が減る中、自主トレから打撃はもちろん、もう一度足でアピールするべく、徹底的に下半身を追い込んだ。キャンプ、オープン戦と前年以上に調子が良く、オープン戦では打率3割を打った。レギュラーでやれる自信があった。
悔しさと憤りが入り交じり、とにかくやるせなかった。「1週間ほど、お時間をいただけませんか」と言うのが精いっぱいだった。