横浜の近藤監督「君が欲しくてトレードを申し込んでいる」
水面下で進行中のトレード話が選手に事前に知らされるケースはほぼない。まして相手球団の人から話を聞くことなど、なおさらだ。
私は動揺を隠しきれないまま、「もし決まったら、行くしかないと思ってますから」と話した。
「そのときは、よろしく頼んだぞ」
静岡、名古屋と通過する中、私は憂鬱な気持ちになった。10年以上、プレーしてきたロッテへの愛着は、人一倍あると自負していた。それも自分の人生なんだと、覚悟をするしかなかった。
ただその後、ロッテ球団からトレードの話が下りてくることはなく、幻に終わった。もし実現していれば、その後、ロッテで指導者になれていたかどうかはわからない。
図らずも数年後の97年に近藤さんがロッテの監督となり、現役引退とコーチ就任を打診された。「来年は、内野守備走塁コーチをやってもらうから」と伝えられた。
■車中で指導者のイロハを
お互いの自宅が近く、98年に正式にコーチになってからは毎朝、千葉マリンへ送らせてもらった。