今江敏晃を指導して気づいたコーチとしての接し方と反省
今江は当時、小坂誠という名遊撃手がいる中で内野にこだわり、三塁手として才能開花。05年、10年と2度の日本一に貢献してくれた。これは余談だが、09年にはボビーとの三塁スタメンのやりとりで、ボビーが「ゴリ(今江)」と言ったのを堀(幸一)と勘違いしてしまったこともある。
10年は西岡とともに自主性を尊重し、大人扱いした。07年に左手有鉤骨、08年に右上腕を骨折し、09年も不振に陥るなど苦しい時期が続いていた。ただ、新人時代から頑張る姿を間近で見てきただけに、必ず復活すると信じ、開幕から三塁で起用した。
■5番で輝いた勝負強さ
打撃に関しては完璧主義というか、必要以上に考え込んでしまうところがあった。ノビノビと気持ちよくプレーしてこそ力を発揮すると思っていた。10年は・331の高打率をマークした一方、私は今江が最も生きる打順をなかなか見つけることができず、苦労をかけた。基本的に打順を固定して戦いたいと考えていたけれど、開幕戦の9番に始まり、2番、6番など6つの打順で起用した。