<5>世界バレーの会場に向かう前、ユニバーシアードの学生たちにシューズを提供した
1970年9月のバレーボール世界選手権(ブルガリア・ソフィア)に同行することになった。32歳にして初の海外出張だった。世界バレーの直前(8月下旬)、イタリア・トリノで「大学生の五輪」といわれるユニバーシアードが行われる。この年は60カ国から約2500人が参加予定だった。欧州まで出掛けていくなら、学生のトップアスリートにもオニツカ製品をPRしたい。
「ブルガリアへはトリノ経由で行かせてください。ユニバーシアードに出場する選手にもシューズを配りたい」
上司が了承してくれたので、トリノとソフィアへ送る大きな木箱にバレーやトレーニング用のシューズなど自社製品を詰め込んだ。ユニバーシアードの選手向けに送ったコンテナは無税通関の許可が出た。力を貸してくれたのはイタリア陸連会長で国際大学スポーツ連盟のプリモ・ネビオロ会長(後に世界陸連会長)だった。日本体育協会の紹介状を携え、彼のオフィスを訪問。全商品を学生に無料配布するとの条件で無税通関にしてもらう書類を書いてもらった。メイン会場のサブトラックでシューズを無料で配り、時間を見つけては日本選手の応援もした。トリノでのPR活動を終えると、オーストリア経由でブルガリアへ飛んだ。首都ソフィアに到着したのは深夜だった。