球団社長に胸の内をぶつけると米田投手コーチから秋季キャンプに誘われた
「自分はいま、どういった立場にいるんでしょうか? 戦力として必要ないというのであれば、自分はもう、移籍しても構いません」
大阪は上六にあるホテルのラウンジ奥のスペース。私は向かい側に座っている近鉄の前田球団社長にこう言った。
1994年のシーズンは、わずか6試合の登板で0勝2敗、防御率12.19。思うような結果が残せなかった私は当然、秋季キャンプに行くものと思っていたけれど、藤井寺球場の通路に張り出されたメンバーに自分の名前はなかった。
起用する側からすれば試合で使える状態ではないということなのだろうが、自分の中では出口の見えない暗闇でやっているような、今後、いったい、どうなるんだろうという感覚だった。キャンプにも行かず、大阪に残ってどうするのか。鈴木啓示監督と話をすることはなかったし、前田社長とはそんな話ができるくらい距離が近かった。なので首脳陣や球団の真意を知りたくて、前田社長に時間をつくってもらった。自分の胸の内を聞いてもらったような感じだった。
私の話を黙って聞いていた前田社長は腕組みをしながら、「アンタの気持ちは分かった」と言い、その日は別れた。