ジャッキー・ロビンソンの“遺産”を活用せざるを得ない…大リーグでの黒人選手の実情
黒人リーグは大リーグがキューバ人を例外として有色人種を除外していた時代にあって、アフリカ系アメリカ人にとって最も高い水準で野球を行える場所であった。
しかし、「人種の壁」が克服されると、大リーグ各球団は優秀な人材を獲得するために黒人リーグの選手を迎え入れ、リーグの存立基盤は揺らぐことになる。そして1948年にニグロ・ナショナルリーグ、1960年にはニグロ・アメリカンリーグが消滅し、黒人リーグそのものが雲散霧消する。
その後、黒人リーグは存在そのものが忘れ去られることになったが、2020年に大リーグ機構が黒人リーグを大リーグと同等であると認定、記録の統合が行われた。
こうした措置は、過去の適切な評価にとどまるものではない。むしろ、大リーグに占めるアフリカ系アメリカ人選手の割合は1980年代半ばから低下、現在では白人、ヒスパニック系に次ぐ位置となっていること、さらにアフリカ系アメリカ人の観客も減少していることと無関係ではないのである。
アフリカ系アメリカ人の選手や観客から今なお大きな尊敬を集めているのがロビンソンだ。記録の統合によって黒人リーグの存在に人々の関心を向けさせた球界にとって、博物館の開設は選手や観客に「アフリカ系アメリカ人を見捨てていない」と訴えかける格好の手段となる。同時に現在の大リーグは、ロビンソンという遺産を活用しなければならないほど、アフリカ系アメリカ人の存在感が希薄になっているのである。