オリ山下舜平大「究極の直球」へ高校時代に課させれた“制限”とは…礎は2人の恩師が築く
■「打者が分かっていても打てない直球」を目指そうと
本格的に投手を始めたのは福岡市立三宅中時代。チェンジアップやスライダーなどを習得し、3年時は福岡代表としてU15全国KWB野球秋季大会の準優勝に貢献。地元の甲子園常連校・福岡大大濠高へ進学した。
自宅から30分ほどかけて自転車で通学した3年間は、山下にとって我慢の日々だった。
同校野球部の八木啓伸監督が言う。
「入学当初から、プロとまでは考えていなかったけど、上を目指せる素材だと思っていました。だから、『打者が分かっていても打てない直球』を目指そう、と。究極の目標ですが、山下ならできると思わせてくれた。そこで、投げていい球種は直球とカーブのみという制限を課した。カーブをうまく投げられるようになればフォームもキレイになりますからね。本人も不満を一切言わなかった。素直なんです」
山下はチームのエース。勝利だけを追求すれば他の変化球を投げた方がいいに決まっている。しかし練習試合はおろか、公式戦でも許されたのは直球とカーブのみ。投げようと思えば投げられた変化球はあえて封印した。本人の将来を考えたからだし、山下もまた監督の意図を理解した。