「藤田嗣治とは誰か」矢内みどり著
画家・藤田嗣治は「日本を捨てた画家」といわれる。1955年、日本国籍を捨ててフランスに帰化、再び日本の土を踏むことなく、81歳で他界した。
目黒区美術館の学芸員を長く務め、作品を通して藤田と関わってきた著者は当初、日本美術界の藤田への不当な評価に憤慨したこともあったという。藤田は本当に日本を捨てたのか。手紙やはがきなど未発表の資料をひもとき、藤田の実像に近づこうと筆を執った。
藤田嗣治は明治19年生まれ。藤田家の出自は武家で、父は軍医だった。10代で絵を志し、東京美術学校を卒業。27歳でフランスに渡る。異国で一人、背水の陣を構え、画業に精進して、高い評価を得るに至る。酒を飲まない藤田は、芸術家仲間との飲めや歌えの宴の後も、家に戻って制作を続けた。
1940年、陥落直前のパリを引き揚げて帰国。戦時中は日本軍の依頼で戦争画を描いた。戦後、戦犯のそしりを受けるが、日本美術に造詣が深いGHQ軍属、フランク・シャーマンの尽力でパリに戻り、藤田は新たな画境を開いていく。
異国で功成り名を遂げ、老いてなお画業一筋に励んだ藤田。手紙の肉声に耳を傾けながらその歩みをたどり終えた著者は、藤田の作品を「西洋美術における、ジャポニズムの最終章」と位置づける。そして、藤田の生き方から武家の家系と軍医であった父の影響を嗅ぎ取り、「少し飛躍する表現ではあるが、戦国時代の武将が天下統一に挑むかのようだ」と書いている。藤田が日本に帰らなかったのは、取りたい天下は日本にはなかったからに他ならない。「エコール・ド・パリの寵児」の真の顔は、絵筆を持った侍だったのである。(求龍堂 2600円+税)