中島京子(小説家)
8月×日 8月だったので、新聞やネットで戦争関連の記事をいくつも読んだ。どなたかが、古井由吉さんの空襲体験について書いているものを読んで、なんとなく読みたくなって古井由吉著「半自叙伝」(河出書房新社 1870円)を引っ張り出して読む。焼け出される体験から戦後の記録。読んでいるうちにひきこまれているのは、昭和40年代、50年代の話。自分は子どもとして体験した時代だが、大人の生活者/文学者の目を通すと、私の知らない、なのに妙に懐かしい時代が浮かび上がる。不思議。
8月×日 体験談というのは、書き残されて(あるいは映像化されて)残り、後世に真実を伝える。森まゆみさんが「聞き書き・関東大震災」(亜紀書房 2200円)を出された。地域の古老に膨大な聞き取りをし(地域雑誌「谷根千」での26年間に及ぶすごい仕事)、文学者の日記や記録を渉猟して、丹念に追った数日間。私の祖母は小石川で被災した。祖母の話と重なるところも多く、肉声を脳裏に響かせるようにして読む。朝鮮人虐殺も吉原の遊女たちの悲劇も、方々で立ち上がった救援の手も、みんなそこにあったのだと感じられる貴重な記録。そして「水」の大切さがことあるごとに語られる。
8月×日 ハーパー・リー著「ものまね鳥を殺すのは」(上岡伸雄訳 早川書房 3960円)読了。未読だった「アラバマ物語」の新訳だ。関東大震災時の虐殺と奇しくもつながるテーマ。排外主義が蔓延りつつある現代日本の、人種差別の闇を思う。
8月×日 平野啓一郎さんが「三島由紀夫論」(新潮社 3740円)で小林秀雄賞を受賞。すばらしい! 私はこの本を、もう3カ月くらい抱えている。「金閣寺」(新潮社 825円)を読み直したりしてるから。「金閣寺」の初読は高校時代で、主人公の脳裏にぬっと浮かぶ金閣寺のイメージが、まったく理解できなかったもんだが、「三島由紀夫論」では丁寧に読み解かれている。目からウロコのスリリングな読書体験。著者が23年かけて書いたんだから、ゆっくり読んでもよいと思う。