「江戸の科学大図鑑」太田浩司・勝盛典子・酒井シヅ・鈴木一義監修
「江戸の科学大図鑑」太田浩司・勝盛典子・酒井シヅ・鈴木一義監修
1549年、フランシスコ・ザビエルが布教のために来日すると西欧科学と西洋器物の急激な移入が始まった。しかし、江戸幕府が発した鎖国令(寛永10<1633>年)によって宗教書に加え科学書まで禁書目録に加わり、ポルトガル船の来航も禁止に。貿易は長崎の出島を通じてオランダ人と行うようになり、日本人が学ぶ異国の学問も南蛮学から蘭学へと移行した。
しかし、蔦重の生きた時代、将軍・吉宗の享保の改革による殖産興業の方針で、洋学受容の傾向が進み、医薬の採集や調査、研究が盛んになり、西洋の技術や知識への要求が高まっていく。
杉田玄白らはオランダの解剖書を手に死刑囚の腑分けを見学して、「解体新書」の訳述を刊行。
このころから西洋医学や天文学、地理学、舎密(せいみ=化学)、窮理(物理)などの学問が発達し、さまざまな解説書が刊行されていく。電気学では平賀源内や橋本曇斎がエレキテルを研究、帆足万里は地球が球体であることを説明した。
江戸時代の日本人が、そうした西洋のさまざまな科学の知識を受け入れ、発展させていった過程を、多くの図版を紹介しながらたどる。
(河出書房新社 4730円)