デニス 植野行雄「芸人になるまでは(容姿いじりが)消化できなかった」
第10回 デニス 植野行雄
終息する気配が見えないコロナ禍の中で人気芸人は何をどう考え、行動しているのか。「とにかくあれこれ手を出してます」と語るのはお笑いコンビ「デニス」の植野行雄。昨今の“容姿いじり”禁止の風潮、ハーフ芸人としての苦悩まで語り尽くした。
■ツイッター、TikTok、ユーチューブにも進出
植野「トップランナーは荷が重いのですが、確かに今、デニスはきてます。テレビ局の人に『忙しいんですよね』と言っていたら本当にテレビの仕事が増えました(笑い)」
原田「テレビは旬の人を呼ぶ傾向がありますからね」
植野「テレビ以外にもツイッター、TikTok、ユーチューブ、劇場で漫才とコント、できる限り全ジャンルに手を出しています。ユーチューブで格闘家とチャンネルを始めたら格闘技関係の仕事が増えてきましたし、心霊チャンネルも始めました」
原田「なぜに心霊を?」
植野「『売れている芸人には霊がいっぱいついている』と聞いて、『売れるためにはいっぱい霊をつけたらいいやん』と思いまして。霊感はまったくありませんが心霊スポットに行っています」
原田「いろいろなところに手を出せる気軽さは今の若者っぽいですね」
植野「芸人として劇場に出てネタをやるのがメインですが、その他にもやれることはやりたいなと。でもあくまでも目標はM-1優勝です」
原田「そこは変わらないわけですね」
植野「僕がデビューした12年前には漫才でネタを磨いてM-1に出るというルートしか売れる道がなくて芸人はみんな目指していました。だから数年前に吉本から『ユーチューブやりませんか?』と提案されたとき芸人は軒並み『そんなん誰がやるねん』『舞台で笑かすんや』と突っぱねましたけど今はほぼ全員やってます(笑い)。判断が遅れて時代の波に乗り損ねるのは嫌なので今は『やろう』と言われたら『はい!』と二つ返事です」
原田「植野さんは“ハーフ芸人”としてデビュー当初からテレビにもよく出演されていました。見た目やそのギャップで笑いを取るいわゆる“容姿イジリ”も得意ネタだと思いますが、最近は容姿イジリに対して厳しい意見が多い。そのあたりはどう思われますか」
植野「僕は大阪府吹田市出身で、父がブラジル人、母が日本人。地元には外国人もハーフもいなかったんですね。だから、かなり周りの目を意識して生きてきました。意識せずにはいられなかったといいますか」
原田「この20年ほどで日本でも人種がミックスした人はだいぶ増えました。芸人になってから意識の変化は?」
植野「完全に見た目を生かしたネタをやっていました。外国人あるあるネタで、サッカーの試合でいきなりマーク3人ついたとか、居酒屋のお通しが自分だけポップコーンだったとか。見た目のギャップもあるし、短いエピソードということで、テレビによく出してもらえるようになりました」
原田「ある意味コンプレックスが武器になったんですね。その時は得したという感覚ですか?」
植野「見た目で勝手に判断されることが多いので、芸人になるまでは消化できなかったんですよ。でも、芸人になったらエピソードも全部ネタになってみんなが笑ってくれる。気が楽になりました」
原田「最近はコンプライアンスが厳しくなっています。芸人のネタでさえも容姿いじりが難しくなっていると聞きます。僕自身の話をすると、ハゲをいじってもらったほうがコミュニケーション取れてうれしいと思っちゃいますけど」
植野「確かにその流れはあります。『3時のヒロイン』の福田(麻貴)も同期で、太っちょ2人抱えていますが、容姿いじりはやらないって宣言していました。松本(人志)さんは『芸人はいいんじゃない?』とおっしゃってくれましたが、背が低い、鼻がでかい、太っているなどをいじっちゃダメというなら吉本新喜劇が終わっちゃいますよ。僕もいじってもらったほうが楽なんですけど、今の若い子たちってどう思ってるんですか?」
原田「植野さんが聞いたら恐怖を感じるかもしれませんが、今の一般の子たちはいじられること自体がNGなんですよ。容姿いじりがダメとか、愛があるからいいだろうとかそういうことではない。ニックネームもダメ」
父は移民でブラジルとカナダのダブル国籍
植野「僕のNSC入学時の写真は強盗かテロリストに見えるくらいイカツイ写真なんですが、吉本のインスタでアップされて『怖すぎる』とネットニュースになったんですよ。僕自身はニュースになってありがたいなと思っていたのに、『勝手にいじるな』『植野がかわいそう』などとコメント欄が荒れましたからね。本人はいいのに過剰反応過ぎませんか」
原田「日本はこの20年ほどの間に急に外国の人が増えて、多様化の概念が入ってきました。その結果、あんばいがわからずに『容姿いじりは全部NG』と極端な考え方になっています」
植野「でも、地方に営業に行ってネタをする場合、見た目をいじると絶対に笑ってもらえるんですよ。デニスを知らなくても、『僕、こんな見た目なんですけど、植野行雄って言うんです。日本人なので、七五三も行ってるんですよ』と言ったほうが、単純にわかりやすいしウケるんですけどね」
原田「少し堅苦しい話になってしまいますが、日本は2006~07年くらいから人口減少社会に突入しています。今まで日本は人が減ることがなかったので、経験したことのないステージなんですね。地方から人が集まってくる東京ですら2025年から人口が減り始める。すると、どうしたらいいかはシンプルな話で、移民を入れるか地方の自治体がなくなっていくのを受け止めるかどちらかしかないんですよ。ある程度経済が成熟すると人口が少なくなるのは仕方ない。アメリカでも移民を入れて社会を維持しています」
植野「なるほど」
原田「昨年、日本は出生数が87万人に落ち込みました。今、40代後半は約200万人いるので、40年後は単純計算で半分以下の人口になるんです。オーストラリアなどは移民政策が成功しているので今後の日本にとってかなり参考になると思っているのですが、植野さんはどうお考えですか?」
植野「実は僕の父は移民なんですよ。ブラジルからアメリカに渡ったのですが、カナダで移民を募集していたのでカナダ人に。カナダで母と出会って大阪に来たので、父はブラジルとカナダのダブル国籍なんです。父が移民だと聞いていたので移民政策には賛成です。僕が東京に出てきた12年前より外国人が増えているなとも思うし、コロナ前は観光客も多かったですよね。日本は島国だからちょっと遅いけど、人種がミックスしていくのは自然な社会なのかなと」
1億人に顔を知ってもらうより500人の熱狂的なファンを重視するように
対談の後編はコロナ禍で大きく変わった芸人の仕事や境遇について。令和時代のハーフ芸人の生きる道を訊く!
◇ ◇ ◇
原田「コロナ禍になって、エンタメ業界は厳しい状況が続いています」
植野「今、芸人はみんなユーチューブとオンラインサロンに力を入れています。以前はテレビに出るのが目標だったのに今では自分のファンをつくるための広告としてテレビに出る感覚です。ギャラはいらないからテレビに出してもらって顔と名前を売って、自分たちのユーチューブやオンラインサロンに来てもらえればいいという考え方にシフトしています」
原田「もともとミュージックステーションに出るアーティストも同じ感じですよね。芸人さんもそういう流れになっているんですね」
植野「1億人に顔を知ってもらうより500人の熱狂的なファンを重視するようになりました。劇場でもコロナ前は知名度がある芸人が優先的に出ていましたが、今は劇場のオンラインチケットが売れる芸人が出ています」
原田「なるほど。劇場も商売ですからね」
植野「テレビにも出て知名度がある芸人なのに、オンラインチケットが売れない人は稼げなくなって、一部のコアなファンのいる芸人がコロナとともに稼ぎ出しています。逆に結構有名な芸人が劇場に出られず稼げないのでバイトをしている状況なんです」
原田「顔も名前も知っているけどオンラインでチケットを買うほど好きじゃない芸人はコロナ禍では需要がないと。シビアですね」
植野「今は劇場にお客さんを入れていないので、すでにファンを獲得している芸人が強いんです」
原田「最近、ファンをベースに中長期的な売り上げや価値を上げていく『ファンベース』という考え方がマーケティングの世界でも大切だと言われるようになりました。自分が行く飲食店を考えてみても、何度も通っているところと、1回しか行かないところがありますよね。ファンベースでは、2割のリピーターをつかむことが重要とされています」
植野「だいぶ前にキングコングの西野(亮廣)さんに『行雄ちゃん、ちゃんとファンは掴んどけよ』と言われたのが今になって身に染みています。吉本芸人は誰かが困ったときには助け合うのですが、コロナで全員が困ったときは自分のことで精いっぱいなので誰も助けてくれないんですよ。個々の戦いになっています」
■土日の営業は壊滅状態
原田「営業もないから、芸人さんは本当につらいですよね」
植野「企業でイベントなどをするときに芸人を呼ぼうとなったら、やっぱり芸人の頭数が多い吉本が強いんですよ。コロナ前は顔と名前がある程度知られていて、10~15分のネタができる芸人は芸人部隊として毎週末、地方に営業に行っていました。テレビや劇場に出なくても、土日の営業だけで飯が食えました。それがコロナになって営業がなくなったので営業が得意な芸人は厳しい」
原田「たしかに」
植野「その場で目の前のお客さんを笑わすのが得意な芸人もいるんですよ。祭りなどで盛り上げるのが得意な芸人は今ホントに困っています」
原田「ポジティブな考え方をすれば、ファンをしっかり掴んだ芸人はこれからも強いでしょうね」
植野「コロナが流行し始めた頃にユーチューブを始めて本当に正解でした。ユーチューブを始める前はまったくファンを掴めていなかったのですが、ユーチューブの心霊スポットを巡るチャンネルは8カ所しか行ってないにもかかわらず、チャンネル登録者数が10万人超。芸人はみんなでお笑いファンの取り合いをしている状況ですが、別のジャンルに行くことでオカルト好きな方たちがデニスを好きになってくれてファンがめっちゃ増えたんですよ」
原田「それはすごい」
植野「7月24日に開催した『心霊の夏! デニ怖の夏! みんな有楽町に集まれ!』というライブもチケットは即完売。1カ月前で700枚のオンラインチケットも売れていました。今まで、デニスのライブではこんなことなかったんですよ」
原田「芸人さんが違うジャンルに行けば強いんですね」
植野「心霊スポットに行く動画って要はリアクション芸なんですよね。怖がったり、相方と喧嘩したりするので、素人よりも当然芸人のほうが得意分野です。神社で僕みたいな外国人が『ギャー!』って叫ぶのは謎ですし、日本人形を見て『ギャー!』って叫ぶのも訳わからんですよね(笑い)。残念ながら霊も僕にはあんまりつかないみたいなんですよ。僕に霊がついて、僕がブラジルに帰ったら霊にも悪いですしね。ブラジルで霊が白装束に三角頭巾かぶっていたら、ブラジルのチーマーみたいな霊にやられちゃうじゃないですか。東野(幸治)さんに心霊チャンネルの話をしたら、『おまえ、ついに禁断の果実に手を出したな』って言われました(苦笑い)」
原田「芸人さんってコミュニケーション能力が高いから他のジャンルでも面白くできるんですね」
■「僕は今後、どうしたらいいですか?」
植野「芸人を辞めても、空気を読む、相手を立てるなどが得意な人が多いので、バリバリの営業マンとして第二の人生を歩んでいる人もいます。芸人は楽しいです。ただ不安でしょうがないですよ……。10年後は野垂れ死んでいる可能性だってありますから。夜中に急に頭がおかしくなって発狂しそうになることもあります。いろいろ不安だからこそ、一時期、芸人の多くが仮想通貨に手を出してました(苦笑い)。逆に、今後僕はどうしたらいいですか? アドバイスください」
原田「今後、日本でハーフの人は間違いなく増えます。マーケティング的な観点から言うと、今まで植野さんは日本人相手にハーフネタをやっていて、それは日本人からしたらわからないことが滑稽だということで笑いにつながったと思います。これからは植野さんと同じ人種がミックスしている同じ境遇の人が確実に増えるので、その人たちに向けてのネタもやっていけばいいのでは?」
植野「なるほど。そういえば、テレビでハーフネタを話したら、(マテンロウの)アントニーや僕のツイッターに同じハーフと思われる子から『ありがとうございます』ってコメントが来るようになったんですよ。僕のコメント欄には『周りから自分は腫れ物扱いされていたけど、逆にいじってもらえるようになった。いじりやすくしてくれてありがとう』とあって、ハーフの子からも共感してもらえたみたいですね。それは今後、意識的に取り組んでいきたいと思います。ありがとうございました!」
(構成=高田晶子)
▽植野行雄(うえの・ゆきお)1982年、大阪生まれ。吉本興業所属。2010年に松下宣夫と「デニス」を結成。同期にマテンロウ、おかずクラブ、ニューヨーク、鬼越トマホークなど。NSC東京校15期生。