ゲス不貞「歌広場淳」を金爆ファン擁護 “推し”を守りたいだけのファンの俺様価値観
堕胎強要の恐怖や無念を理解可能な同性が「推し」を守りたいだけの都合のいいファンの論理=俺様価値観で正論を曲げにかかり、傷ついた女性に寄り添うことなく、自分が歌広場と同じく軽薄で身勝手なことをしていると気づかない。
絶対安全地帯から罵詈雑言で炎上させ、憂さを晴らすのは、たしかに問題がある。歌広場のケースも、有名人がゆえの「モテ」に対する妬みがないとは言い切れないだろう。
だが、俺様正義感を振りかざしてムキになり、相手の女性にまで噛み付くさまには、ある種の狂気を感じる。見たくないものはなかったことにする、という異常さに気づかないほどの激情、逆上だ。
当欄では以前から何度も書いているが、検索サイトとSNSの利用へ偏るあまり、見たい、知りたい情報へしかアクセスしないことが生活の中で定着してしまった。見たくない、求めていない情報は、あらかじめ検索エンジンとSNSによってふるい落とされており、異質の考えや反対の情報、不都合な真実があるとは考えもしなくなっている。
タコツボの中で同質化した情報にだけさらされた頭では、ゲームのアイテムを比べるかのように、自分の置かれた境遇と相手との単純比較しかできなくなり、固着した俺様価値観でしか物事が判断できなくなる。
炎上を見ていると、さまざまな意味で不幸な人をより不幸にする、ネット=人間の暗黒面におののいてしまう。ネットが人類を幸福にすると喧伝されたのも今は昔、民度の低下と短絡的に激する負のスパイラルがどこまで続くのか、もはや想像もつかない。(おわり)