志村けんさん三回忌「アイーン銅像」にファンが“全員集合” 世代を超えて愛される理由
新型コロナ肺炎で2年前の2020年にこの世を去った志村けんさん(享年70)。命日の3月29日、志村さんの生地である東京・東村山市に向かった。
西武線東村山駅の東口を出ると、駅前ロータリーには、見事な3本のケヤキが立っている。1976年、志村さんが「東村山音頭」で市の知名度アップに貢献したことを記念に植えられた「志村けんの木」だ。その横には、昨年6月に除幕式が行われた志村さんの銅像がある。羽織袴姿で「アイーン」のポーズを取ったこの像は、クラウドファンディングで地元の有志やファンから集められた資金約2700万円を元に設立されたもの。命日とあってか、多くの人が足を止めて写真を撮っていた。
駅から離れた郊外の共同墓地の一角には、志村さんが眠る墓がある。志村家代々の祖先が眠る立派なもので、墓誌には志村さん以外にも20人ほどの戒名が彫られている。昨年、追加された志村さんの戒名の横には、今回、「東村山市名誉市民称号を授与」の文字が新たに彫られていた。
三回忌は、先日、身内で済ませたようだが、墓はキレイに清掃されており、色とりどりの花、そして酒好きだった志村さんに向けた焼酎や日本酒が供えられており、この日も墓参りに訪れる人が続いていた。
会社の休みを取って神奈川県から来たという46歳の男性と30代の女性は、ワンカップのお酒を墓前に供え、手を合わせていた。男性は、「昨年も命日に来ました。『全員集合』の時から見ていて好きでした。大人になってからは、正直、決して欠かさず見ていたというわけではないのですが、とにかく、いきなり亡くなってしまったので喪失感がすごくって。ありがとうという気持ちで手を合わせました」と話した。
また、鎌倉から来たという17歳の女子高生2人は、「中学生の時から好きで、舞台も見に行きました。おもしろくて可愛かった」と話した。
「大人になって改めてその偉大さに気付く」
世代を超えて愛された志村けんさんについて、「志村けん論」(朝日新聞出版)の著者で、お笑い研究家の鈴木旭氏はこう話す。
「志村さんの笑いって、幼少期に大笑いし、思春期で一度離れ、大人になって改めてその偉大さに気付くというようなものだと思うんです。人に会わせるのが気恥ずかしくなる、シャイでひょうきんな父親のように、振り返れば『当たり前にいる』という安心感があるんです」
鈴木氏は、志村さんの死後、親交のあった多くの関係者を取材する中で気付いたことがあったという。
「志村さんって“奥行きと幅”が物凄い方なんですよ。まず志村さん自身が青年期に影響を受けたアメリカのコメディー映画や落語、音楽への深い造詣がある。それと同時に、ネタになるとなれば、その時々のはやりものなど、貪欲にコントに取り入れていた。最後もTikTokでネタを作ろうとしていたそうです。だから、どの世代にも自分が好きだった志村けん像が強烈に残っているんだと思います」
東村山駅前の桜並木は満開だった。今も志村さんの笑いは多くの人の心に生き続けているようだ。
(取材・文=平川隆一/日刊ゲンダイ)