自民党ポスターの岸田首相の顔は「配役のしようがない顔」だった
映画の中でも、どんな場面で野ざらしにされても「らしい顔」でないと首相役は務まらない。総理大臣役に似合う俳優と検索したら、1番に北大路欣也、2番が木村拓哉、3番が渡哲也、4番が渡辺謙とあった。10年前のスマホいじり人種のアンケートだが、北大路さんも渡さんも総理の顏じゃない。もっと狡猾な眼光でないと政治家にはとても見えない。木村拓哉は論外だし、渡辺もヤクザ役なら適役だが。
東宝の映画などめったに見ないが、CS放送で見た「シン・ゴジラ」じゃ、知らぬ間に死んだ総理大臣は大杉漣さんだった。漣さんとは昔、家に居候させてもらった仲だが、「カメレオン俳優」と言われようが総理だけは似合わなかった。町工場の職人社長か喫茶店のマスターは文句なしだが。小生の「ガキ帝国」じゃダンスホールの支配人を演じた。おのれの一部を出せる役者だった。
昔のキャスティングはうまい。「砂の器」は周りがいうほど面白くなかったが、丹波哲郎と森田健作は刑事らしく、森田も見事に新米警官の顏だった。
映画は1にシナリオ、2にキャスティング、3が画像の格調でその作品がゴミかマトモかが決まる。そう言われてきた。確かに、無名でもアル・パチーノの顔こそマフィアのボスがハマっていたし、無名のデニーロもベトナム戦争帰りの狂ったタクシードライバーの人相だった。
70年代のニューシネマはキャスティングだけで物語が躍っていた。思い出した。ジーン・ハックマンは麻薬捜査の刑事ポパイの顏だった。自民党のポスターのあの顏は、配役のしようがない。