「山形の教え」を心に秘めながら芸能人を生きた、あき竹城の山形弁
あき竹城(2022年12月15日没 享年75)
あき竹城と会ったのは1999年の秋だった。
その年の10月31日にNHKの衛星第2放送で「おーい、ニッポン」 の「今日はとことん山形県」という特集企画があり、私は午後1時から8時までスタジオにいた。彼女とダニエル・カールが一緒で、3時までは両親が山形出身のオペラ歌手、佐藤しのぶがすわっていた。
あきは予想したより静かなひとだった。
彼女は米沢生まれで私は酒田出身だが、私はその翌年に米沢の「置賜文化ホール」で開かれた「上杉鷹山生誕250年記念シンポジウム」に出た。漫画家の里中満智子、鷹山研究家で山形大学名誉教授の横山昭男、そして私だった。鷹山には大して興味もなかったのだが、NHKの人に頼まれて断りきれなかった。
米沢では鷹山は呼び捨てにはされない。必ず「鷹山公」と公が付く。司会者はもちろん里中、横山も公をつけるので、私は途中からヘソを曲げて、こう自己紹介してしまった。
「同じ山形でも、私は”殿様のいない町の”酒田出身です」