小林幸子「とまり木」1曲で億単位の印税! 作詞・作曲家が明かす質屋通いからの逆転人生
「嫁には活動の話はしていません。隠しているわけではなく、私たち夫婦は私は私、嫁は嫁という考え。嫁は気丈な人ですね。私が33歳のとき、髄膜炎になり生死をさまよったときも冷静でした。当時、私は日本酒1升、ウイスキー1本、生ビール3杯飲んで夜明けに帰る、というむちゃくちゃな毎日を送っていたので、嫁に『死ぬよ』と忠告されていたのに耳を貸さなかった。だから、私が死にかけても、嫁は涙ひとつ見せませんでしたね」
現在は早寝早起きで体調も良い。就寝前に、“40文字の詩”と解説文を書いて寝るのを習慣にする。
「いつか、これを本にしたい。作詞作曲も続けていますよ。水森かおりさんや北原ミレイさん、津吹みゆさん、かとうれい子クンらの歌を書いています。まだ無名のかとうクンでヒット曲を作り、東京国際フォーラムで歌わせてやりたい。そのバックで1曲ギターを弾かせてもらったら、思い残すことはありません」
■横浜市内で夫人と2人暮らし
さて、愛媛県大洲市出身のたきのさん(本名:滝野英治)は、県立大洲高校卒業後、演劇に憧れ上京。劇団「早稲田小劇場」の研究生になり、独学で習得したギターを舞台で弾いていて、洋楽専門のレコード会社にスカウトされ訳詞を手がけるように。