ラジオNIKKEI藤原菜々花アナを直撃!下積み4年…JRA史上初「女性場内実況」までの紆余曲折
塗り絵を作ってひたすらゲート番号と馬名を暗記
──入社してから場内実況までの約4年間はどうでしたか?
「スタートは競馬を知ることでした。勉強になったのは競馬予想です。先輩が担当するレースを予想し、根拠も考察しました。パドックMCデビュー、番組MCデビュー、そしていよいよ実況MCデビューと段階を踏んでいきました。入社2年目ぐらいからひたすら実況練習、練習の日々で夢にまで出てくるほど。その時に『塗り絵』を作りました。『塗り絵』とは、馬の判別を行うために騎手が着る勝負服や帽子の模様や色を描き、ゲート番号と馬名をリンクさせた手作りの表のようなもの。馬名を隠した時に服を見てぱっと馬の名前が出てくるように暗記しました」
──塗り絵以外で工夫していたことは?
「騎手の勝負服や帽子の色が同じだとわかりにくいので、その場合、競走馬や馬具の情報も大事で、馬体が芦毛か茶色かというのも見分け方です。ただ、馬体も馬具も騎手の勝負服も似ている場合は、馬のマスクの色や勝負服の腕のラインの色などで見分けることもあります」
■デビュー実況は「緊張していることに気づけないほどの緊張」
──3月3日のデビューが決まったのはいつですか?
「3月1日(金曜日)の夜に上司2人に呼ばれて知らされました。緊張する時間を減らしたいという上司の優しさだと思いました」
──その当日はどうでしたか?
「そわそわしましたね。中山競馬場に向かう車中では寝ないようにしました。というのは、寝ると声も寝てしまうからです」
──緊張の度合いをマックス10だとするといくつでしたか?
「あまりにも緊張すると、緊張していることに気づかないものだとわかりました。だからマックス10です。終わってから頭が真っ白になりました。ターフビジョンがともるまで、1着から5着までの馬の名前を言えなかったし、騎手の名前も馬の強さも上手に言えなくて、後から申し訳なさでいっぱいでした」
──デビューの教訓は何でしょう。
「1回目の声が上ずっていたので、2回目は落ち着いた声にしたら、結果的に暗くなったので、3回目は声のことを考えないことにしました。自分の声が観客にかき消されそうだった気がしたので大きく出しましたが、3回目にはいつも通りの発声に戻しました。馬券が絡んでいるため、一瞬たりとも気が抜けないです。例えば、その馬が勝っていないのに勝ったかのように実況をしてしまって、馬券を握りしめている方が喜んで、やっぱり違いましたとなったら、その方にとっては怒りの出来事になると思います。そのためプレッシャーは常にありますね」
──スポーツ実況は一瞬の描写を伝えることです。競馬ならではの難しさは?
「状況を瞬時に判断して言葉にするのが難しいです。そのため無駄なことを言わないように、言葉を削っていくことだと思います」
──家族の反応を教えてください。
「デビューの当日、父が特製のお弁当を作ってくれました。メニューは唐揚げに卵焼き、ウインナー、豚の生姜焼き、それに2個の爆弾おにぎり。海苔を一枚一枚ラップにくるんでくれました。母は会場に来て終わってから『頑張ったね』とねぎらってくれて、帰宅すると普段は無口なおじいちゃんが満面の笑みを浮かべ、おばあちゃんが『自慢の孫だよ』と言ってくれて。家族はとても喜んでくれましたね」
──これからの目標を教えてください。
「レースを的確に伝え、リスナーにストレスを与えないような安定感を持った実況を目指すことです。将来は牝馬のGⅠレースを担当できたらいいですね!」