元「雅夢」の三浦和人さん「“幸せの余韻”を感じながら歌い続けています」…45周年記念アルバムも制作中
見かけが「雅夢」の頃と変わらないのにもビックリ
「自宅にレコーディングできるプライベートスタジオがあり、毎日のようにボイストレーニングをしています。普段から、ラジオ体操やストレッチを含め、1時間半かけて体を整えています。あと何年歌えるかわからないけど、歌い続けるためには最低限の努力はしなくちゃね。『愛はかげろう』も元のキーの高さで今も歌えますよ」
見かけが「雅夢」の頃と変わらないのにもビックリだ。
「コロナのときには、一回り大きくなったんですよ(笑)。『世の中変わっちゃって、もう歌えないんだ』と僕らしくもなく気落ちし、甘いものを食べるとか、それまで我慢してきたことをたくさんやってしまって。今は運動などで、ほとんど戻しましたが」
健康にも気をつけなければならない年齢だ。
「十数年ほど前、突然、心臓がドキンドキンと強く打って、驚いて病院にかかったら心房細動と判明し全身麻酔で手術しました。ステージで突然、また発作がきたらいけないから。健康には気を使ってきたほう。それでも突然、異変が起きる。そういう年齢なんですよね。でも、悲観はない。人生はそういうもの。終わらないと困るでしょ?(笑)」
自覚してケアしてきたことが、長く活動してこられた秘訣に違いない。
さて、兵庫出身の三浦さんは愛知にある中京大学に進学し、在学中の79年、「雅夢」を結成。翌80年、第19回ヤマハのポプコンに出場すると「愛はかげろう」が優秀曲賞を受賞し、同年デビュー。いきなり80万枚とヒットした。さぞ、印税がガッポリ入ったろう。
「アーティストの先輩たちが、きちんとシステムを整えてくれたおかげです。ちょっといいギターなどの楽器や、レコーディング機材を買いました」
「雅夢」解散の翌85年に結婚した夫人と、都内で2人暮らし。
「あと、ネコ1匹と犬1匹も一緒。僕らには子どもがいないから、その子たちをとにかくかわいがっています」
6月7日に「TOKYO FMホール」、11月16日に「大手町三井ホール」で45周年記念コンサートを行う。
(取材・文=中野裕子)