卵巣がん<2>広島で被爆した父は胃がんで死亡
診察室で大塚さんの膨れた腹を見た途端、院長は顔色を変えた。
「とにかくすぐに大きな病院で診察を受けなさい。いますぐにですよ!」
ここで初めて大塚さんは、症状の重大さを察知した。と同時に「やっぱり」とも感じたという。
大塚さんの父親は広島で被爆。1985年に胃がんで亡くなった。大塚さんは被爆2世だった。
「私が24歳のときに父を亡くしました。生前、父から被爆障害について聞いておりまして、いつか私もがんになるかもしれないと、心のどこかで思っていたのです」
週明けに、それまで2年ほど胃腸の不具合を相談していた「東京大学医科学研究所付属病院」(港区)の内科医を訪ねた。後で聞くとその内科医は「これまでの経緯と医師としての経験から消化器以外のがんではないか」と直感したそうで、血液検査、尿検査、MRI、CTなど検査を徹底的に行った。1週間後、検査結果を聞きに、妹と一緒に訪ね、事実を聞かされた。
「50代の担当医師は、『がん』という言葉は使いませんでした。ただ、遠まわしに説明しながら、『悪性の可能性があります』と言うのです。それはまるで死刑判決のときに主文を後回しにして、理由を延々と聞かされているかのようでした」