紙芝居師に出会って救われた…かみはるさん股関節症を語る
かみはるさん(紙芝居師・31歳)=先天性股関節脱臼・変形性股関節
「前の学校にあなたと同じような歩き方の子がいてね、その子が病院で診てもらったら股関節脱臼っていう病気だったのよ」
小学4年生のとき、担任の先生にそう言われました。「一度、病院に行ってみては?」という先生の提案で、母親と一緒に受診してレントゲンを撮ってもらったら、先生が案じたように「先天性股関節脱臼」だったのです。
物心ついたときから右脚を引きずっていました。でも、単なるクセだと思っていたのです。それが股関節の臼蓋(大腿骨骨頭の受け皿)が生まれつきなく、関節が外れたまま歩いていたと知りました。
「すぐに手術が必要だ」となって、別の部位の骨を取って臼蓋をつくり、骨頭を正常な位置に収める手術をしました。
それから3年後の中学1年生のときには2度目の手術を受けました。股関節が外れたまま成長したため右足が3~4センチ短くなっていて、骨を伸ばす必要があったのです。
骨延長術という手術は、大腿骨に骨を延長させるためのアナログな器具を取り付けます。術後は、太ももに太めのピンが等間隔に4本刺さっていました。器具に付いているネジをギリギリ回して、2~3日に1ミリぐらいずつ骨を伸ばしていくんです。器具はむき出しで、ピンが刺さった部分は化膿してしまうし、痛くて重くて、あれは本当に一番つらかったです。
入院は半年ぐらいで、その器具がくっついたまま退院して、くっついたまま通学しました。袋をつくって隠していましたけれど、ぶつかったり、引っかかったりして不自由でしたし、お風呂に入っても湯船につかれない日々が1年ほど続きました。
器具が外れたのは中学2年生の夏。それからしばらくは跳んだりはねたりができるようになって、高校3年間も普通に楽しく過ごせました。「脚が悪かったのは過去のこと」と思い、痛くても少し無理をして普通の人と同じように、杖もつかず生活しました。脚が悪いことを周りに知られるのがどうしても嫌だったんです。
当時、声優に憧れていた私は、高校卒業後に就職した職場を2年で退職して声優の専門学校に通い始めました。そんなある日、下校途中でいきなり右脚に激痛が走って動けなくなったのです。痛みをこらえて必死に帰宅し、翌朝すぐに病院へ行くと、「変形性股関節症の併発」を告げられました。
医師は「手術する前に戻ってしまったというか……そうだね……う~ん」とはっきりしませんでしたが、「もう治らない」というニュアンスは感じ取れました。
「とりあえず杖はついてね」と言われたので、その後は杖で登校しました。
でも、通学は満員電車だし、座れないし、みんなに見られて駅で気分が悪くなるしで、どんどん殻に閉じこもっていきました。学校もアルバイトも休みがちになって、毎日「死にたい」と思っていて……。