21年ぶりの米拠点開設で思い出す…りそな銀行誕生のキッカケになった巨額損失事件
井口は、膨大な負債を処理しようとしたが、市場でさばききれなくなり行き詰まり。1995年7月、ついに藤田彬頭取(当時)ら大和銀行上層部に手紙を送り巨額損失の事実を告白した。突然の知らせに慌てた大和銀行は大蔵省へ報告したものの、米連邦準備制度理事会(FRB)への報告が大幅に遅れ、米政府から「隠蔽」と判断される結果となった。
■3億4000万ドルの罰金を払い、米国から撤退
1996年2月、大和銀行は司法取引に応じ16の罪状を認め、当時の米刑法犯の罰金としては史上最高額といわれる、3億4000万ドル(約350億円=同)の罰金を払い、米国から撤退を余儀なくされた。
この巨額損失事件は、その後の大和銀行とあさひ銀行が合併し、りそな銀行が誕生する分岐点となった。そして、2003年の実質国有化へと続いていく。歴史のあやを感じずにはいられない。