奥原希望を金に押し上げたリオ雪辱と羽生世代への対抗心
迎えたファイナルゲーム。互いに疲労の色が濃く、奥原は何度も下半身のストレッチを行う。プサルラはチャレンジに失敗し12―12に追いつかれたところで給水。水とサプリメントの摂取時間が長く、審判からイエローカードが出された。
ここからは観客が息つく暇もないほどの激しいラリー戦が続く。点が入るたびに腰を落とし、コートに倒れ込む両者。奥原は17―19まで追い詰められるが20―19と逆転。拾って拾いまくる持ち前の粘りで2度のマッチポイント。最後は相手の返球がネットに当たり、悲願の世界女王となった。
■右肩故障から復活
「きつい試合だった。世界女王というのはすごく特別なポジションだが、まだ実感がない。でも、ここが私のゴールではない。2020年東京五輪がある」
こう語った奥原は、女子単のエースとして更なる飛躍を期待されながら、16年末の全日本総合選手権は2回戦で右肩を痛めて(炎症)棄権。完治までに3カ月近くを要する重症だった。
父・姉・兄がバドミントン選手という家庭で育ち、7歳から競技を続けてきた体は左右のバランスが大きく崩れ、故障の影響もあって右肩の可動域も極端に狭まった。リハビリの間は専属トレーナーの指導の下、体の歪みの矯正に着手。同時に体幹強化も図った結果、故障前よりも右肩の可動域が広くなり、スマッシュの威力がアップした。