野茂英雄の“真骨頂” 全身が震えあがるほどの凄みを感じた
30年以上経った今も、脳裏に焼き付いている。
ソウル五輪日本代表のコーチを務めていた1988年、8月23日から9月7日にかけて、イタリアで12カ国が参加して行われた第30回世界アマチュア野球選手権を戦った。2週間後にソウル五輪本番を控える中、私は20歳になったばかりの野茂英雄(新日鉄堺)に、彼の真骨頂を見た。
同年の都市対抗と選考合宿を経て日本代表入りした野茂にとって、初めての国際大会。予選リーグを4位で終えた日本は、9月6日の決勝リーグ初戦で同1位のキューバと再戦した。その試合の先発を野茂に託した。
■最強キューバ戦でリナレスと対決
予選リーグは2―3でサヨナラ負けを喫していた。「赤い稲妻」と呼ばれたキューバは当時、世界最強国。リナレス、キンデラン、パチェコら世界に名だたる選手を擁していた。
直後のソウル五輪は政治上の理由でボイコットし、対戦することはなかったが、日本は1972年の初対戦以降、2勝12敗1分けと圧倒されていた。キューバに追いつけ追い越せを目標にしていた時代である。