野茂英雄の“真骨頂” 全身が震えあがるほどの凄みを感じた
野茂は初回、パチェコに2ランを浴びたものの、二回以降は無失点。2―2の同点で迎えた八回に失点し、チームは逆転負けを喫したが、当時の国際大会は金属バットを使用していた。まして、相手はキューバだ。
普通の投手なら、ひとたまりもないという中で、野茂は150キロ近いストレートと落差の大きいフォークを古田敦也(トヨタ自動車)のミットをめがけて目いっぱい、投げ続けた。
世界屈指のキューバの打者から、なんとか三振を取ってやろうと気迫をみなぎらせ、臆することが全くなかった。
中でもリナレスとの対戦は、力と力、力と技がぶつかり合い、一打席一打席が緊迫した空気が流れていた。日本球界屈指の投手に成長しつつあった野茂と、17歳で国際大会デビューし「キューバの至宝」と呼ばれた当時21歳のリナレス。お互いが世界一の投手、打者として認識していたに違いない。球場の観客は日本ほど多くはなかったが、比較的静かな環境が一層、2人の勝負を際立たせたように思う。
■足に強烈なライナーが直撃