プレミア12敗退の監督・小久保裕紀から届いたメールの返信
ミーティングではさらに、「日本代表は江戸時代で言えば『長崎の出島』であり、野球界で唯一、異文化を吸収することができる場だ。君たちは企業や大学に戻った時に、日本代表として経験したことを伝える義務があるんだ」と話した。当時、インターネットは普及しておらず、野茂英雄がメジャーへ挑戦する前。日米野球は行われていたが、「ベースボール」と「野球」は全くの別物といわれるほど、日本野球界は鎖国状態にあったといっていい。日本代表で異文化について学び、考え、その後の野球人生に生かしてほしいと考えていた。
五輪後、青学大の河原井監督(当時)から「小久保が選手を集めて、アメリカやキューバなどと戦った経験を還元してくれています」と感謝してもらい、安心したものだった。
その後輩のひとりが4年後のアトランタ五輪で日本代表入りする井口資仁(現ロッテ監督)である。小久保が大学4年生の時に1年生だった井口にとって、小久保の存在が刺激になったことは間違いない。
■「監督の心境がよくわかります」