<6>世界バレー男女ベスト8の8割以上をオニツカで占めた
小島孝治監督のベッドの下で目が覚めた。
「監督、昨夜少しお話しした件でお願いがあります。この大会には世界中の選手が集まります。せっかくですから、うちのシューズを配りたいのです。この荷物です。ライバルチームに渡ることになりますがいいですか」
「ここまで来て、今さら何言ってるんや。好きなようにせい」
■ソ連監督と毎晩飲みながら
決勝リーグに進んだ女子チームは全日本と同じホテルに宿泊していた。監督の部屋を倉庫代わりにし、早速作業を始めた。まずはソ連チームのリストをつくり、アフレジアン・ギビ監督を訪ねた。
「シューズを配りたいって? 毎晩、私と飲んでくれるならOKしよう」
笑いながら、あっさり了承してくれたのは意外だったが、ギビ監督の言葉は冗談ではなかった。
「ミスター・リトル・タイガー、今晩もウオッカで乾杯しよう」
連日のようにお誘いがあり、頭がクラクラするほど飲まされた。この時の出会いがきっかけで、ソ連バレーボール協会ナショナルチームの公式サプライヤーになった。後にアシックス(1977年に3社合併でオニツカから新社名)はソ連オリンピック委員会と公式サプライヤー契約を結んだ。日本がボイコットした80年モスクワ五輪に技術者と一緒に派遣され、40日ほど現地でサービス活動を行った。