“日本マラソンの父”が嘆く「駅伝王国」の本末転倒 カネ以外に開催時期の弊害
女子の主要大会だったさいたま国際マラソンが2019年で終わったのも同じ理由だ。
15年創立の同大会は、全日本実業団対抗女子駅伝(宮城)の約1カ月前(11月15日)に開催された。ところが、「12月の仙台はよく雪が降る」との理由で、翌16年から駅伝を11月に繰り上げ、18年からはさいたま国際を12月にずらした経緯がある。
「駅伝の2週間前にマラソンに出たい選手などいません。監督だって故障が怖いので出したくない。さいたまのコースはアップダウンが多く、風も強い。好タイムが出にくいといわれたが、トップ選手が出ない大会は注目されない」(前出OB)
金栗氏は五輪惨敗の経験から、「日本を強くするにはマラソン選手を育成することだ」と考えた。「一度に多くの選手を育てるには駅伝が最適」との理由から、箱根駅伝が生まれたといわれている。それが今では、マラソン強化の箱根駅伝が大人気となり、実業団も駅伝が最大のイベントだ。
五輪とは無縁の駅伝が隆盛を極め、横浜女子(14年)、さいたま国際、びわ湖毎日(21年)、福岡と、本来、五輪メダリストを育む場であるはずのエリート大会は消えていく。皮肉な話だ。