青学・原晋監督“クレディ・スイス債”紙切れ 講演料、印税がパー…選手は管理できても資産は?
■低迷していた駅伝部を常勝軍団にしたが…
原監督は中京大学卒業後、中国電力に入社。陸上部に所属していたが、故障により5年で引退。その後、営業マンとして新商品の販売などで好成績をおさめ、ビジネスマンとして才能を発揮。
低迷していた青学大駅伝部の監督の話が突然舞い込んだのが、2003年のこと。選手、監督としての実績がない中での異例の就任だったが、サラリーマン時代に培ったビジネスセンスで陸上界の常識を塗り替え、青学を常勝軍団に育成した名将として知られる。
「15年の初優勝以降、青学を箱根の常連校にした原監督は、これまでの体育会の監督にないキャラクターとしゃべりで、無名の監督から一躍人気者になりました。テレビ出演のほか、出版や講演の依頼が舞い込み、これまで何億も稼いでいるはずですが、自分が投資した商品がまさか紙切れになるなんてショックが大きいと思います」(スポーツ紙記者)
名将の面目、丸つぶれといったところか。