ヤクルトだけじゃない!青木宣親に28年ロス五輪「侍J監督待望論」 厚い人望と豊富な人脈
「ついにこの瞬間が来てしまいました。ファンの皆さま、自分が愛したこの球団をよろしくお願いします。また会いましょう!」
2日、ヤクルトの青木宣親(42)が神宮で引退試合を行い、涙、涙のスピーチ。21年間の現役生活に別れを告げた。
宮崎・日向高から早大を経て、2003年ドラフト4巡目で入団。当時の若松勉監督に見いだされ、2年目の05年にシーズン200安打を達成してブレーク。12年から6年間、メジャーでもプレーした希代の安打製造機は、史上初のシーズン200安打を2度達成。首位打者3度、日米通算2730安打をマークした。06年には盗塁王も獲得するなど通算275盗塁。ゴールデングラブ賞7度と走攻守で球史に名を刻んだ。
多くの選手、関係者が驚きを口にするのは、変幻自在の打撃フォームだ。相手投手や自身の体調を踏まえて、1打席ごとに微妙に変化させる。青木自身、「体調に合わせて、打撃フォームを変えている」と話したこともある。若手時代は試合後に氷風呂につかってクールダウン。試合がない日もカラダのケアに多くの時間を割いたことが、42歳まで大きなケガなくプレーする土台になった。