「あきない世傳 金と銀」髙田郁著
舞台は大坂。時代は享保、元文(18世紀前半)。元禄という華やかな時代が終わり、倹約が貴ばれる世相へ様変わり。つまり、物が売れない時代に。そんな中、商いの町で商売を続けていくこととは……と書けば、まるで現代を乗り切るビジネス指南書のようだが、むろん、本書は時代小説である。
摂津国武庫郡津門村に生まれた幸は、学者の娘らしく、向学心旺盛な娘であった。しかし、8歳のとき、「女子に学問はいらん」という風潮にあって、最大の理解者であった兄を失う。程なく父も急死。生活の支えがなくなり、学問どころか、奉公に出されることになる。その先は、「商とは即ち詐」と父が断言してはばからなかった商売人の家(呉服商)であった。
当初、幸は「笑う門には福きたる」と番頭に言われても、「愉しくないのに笑うのは難しいです」と答え、かたくなさを崩さない。それでも、その名の通り幸いにも、番頭はそうした幸の態度を面白がり、本好きの三男坊は「私に、よう似てる」と言って目をかけてくれる。もちろん、女衆が丁稚たちと交じって、「商売往来」を習うようなことは不可能。だが、番頭の機転により、店の中に入ることなく、中庭を隔てた中座敷からのぞく形で学びだす。そうして「商いとは、物の売り買いのこと」だと幸は知るようになる。ひとたび知識欲に火がつくと、「どうして反物は問屋からお得意さんの順にいくのか?」といった疑問が次々と湧き出す。たとえ、丁稚たちのように、「出世」や「暖簾分け」といった未来がないとしても。
何も書物からだけでなく、周りの人たちからも学ぶことを忘れない。店主の祖母のお家さんからは奉公人への気遣いを忘れない懐の深さを、店主に嫁いだ豪商の娘・菊栄からは、ずぶとさの裏にある女の覚悟を。同じ女衆の竹や梅たちや、廓通いをやめない店主に対しても恨み言を言うことはない。
やがて、かつての商いへの思い込みが一方的であることに幸は気づく。そう、真の学問とは、状況や環境にかかわらず、求める者の中に開かれていき、自らが極論に走ることをいさめるのだった。
こうした「基本」を教えてくれる少女・幸は、学びの先生といえるだろう。続編が待ち遠しい!(角川春樹事務所 580円+税)