メディアをうのみにする「私たち」こそ「裸の王様」
「新・目白雑録」金井美恵子著
「言葉」に対する鋭敏な感性で続々と刺激的な小説を世に問い、今日随一の実力派作家と目される金井美恵子。私の最も好きな現役作家だ。小説のみならずエッセーも評価が高く、13年という長期連載の人気シリーズ「目白雑録」の第6作、待望の最終巻が出た。
さまざまな時事問題をめぐりメディアで垂れ流された言葉に対する違和感や苛立ちを、ピリリと皮肉の利いた批評(悪口)性を交えて書く文章は痛快だ。
例えば、「特定秘密保護法成立の時期にあわせて」就任したケネディ駐日アメリカ大使が「儀装馬車」で皇居へ就任挨拶に向かう映像を長々と流すメディア報道を見て、その頃世間を騒がせていたホテルの「食品偽装」と引っかけて、「偽装馬車」に聞こえると皮肉る。
また、話題を呼んだスカイマークのミニスカートの新ユニホームについて、男の新聞記者や学者がもっぱらスカートの丈(の短さ)しか問題にしないことを指摘し、その帽子とスカーフとあわせて見れば、それがかつてのスチュワーデスのレトロ調のデザインだという「服としてのデザイン」を見落としていると批判する。
あるいはかつてアメリカのSF「猿の惑星」のモデルとされた日本人が、サッカーの試合で(白人を真似て)黒人選手に向かって差別しているつもりでバナナを振り上げることの滑稽さを揶揄する等々。
中でも「裸の王様」という言葉をめぐる議論は面白い。ジャーナリズムでは「周囲の意見を聞けずに孤立している権力者」を指す比喩として通用しているが、金井は元になったアンデルセンの寓話に立ち戻り、詐欺師たちの喧伝する「ばか者には、それが見えない」という特質を、「国中で共有した」ときに、「裸の王様」は登場すると指摘する。つまり、メディアによって特定の価値観(「バカに見られたくない」という虚栄心)を共有することで、「私たち」は「裸の王様」と共犯関係を結ぶというのだ。佐村河内、小保方問題もまたしかり。
「裸の王様」とはメディアの物語をうのみにし、容易にだまされる「私たち」のことでもある。「裸の王様」を笑う者は、自分自身も「裸」であることを忘却している。(平凡社 1900円+税)