水森かおり 鳴かず飛ばずを救った父親の飲み友達との“縁”
実は、先生は作曲家として身を立てられる前は東芝レコード(ユニバーサルミュージック)の歌手で、そのころ、私の実家の近所に住んでおられました。父とは行きつけのスナックの飲み友達で、私が生まれる前から家族ぐるみのお付き合い。生い立ちから家庭環境、歌手デビュー、そして下積み…。6曲目の「ひとり泣き」(99年1月発売)は先生の作品でしたから、性格も声質もご存じのはずでした。
ところが初めて聞いて戸惑いました。当時の私にとっては、大きなスケール感といい音域の広さといい、それまでにはない曲調でしたから難し過ぎて歌いこなせないと感じたからです。
どちらかといえばカップリング曲になった「哀愁紀行」の方が歌いやすかった。当初はどちらがA面になるか決まっていなかったため、私は「哀愁紀行」でいきたいとスタッフにお願いしたくらいです。
でも、皆が皆「『東尋坊』がいい!」と。後日、先生から直接お伺いしたのですが、「『ひとり泣き』の時のかおりちゃんだったら無理だろうし、この曲は作れなかった。でもあれから2年余り経ち、今ならひと踏ん張りすれば必ず歌える。一本芯の通った曲で、さらに成長させたかった」と、おっしゃって下さいました。