東京15区補選を戦い終えた須藤元気さんに聞いた 格闘技、俳優、政治家としてのターニングポイント
4月28日に激戦の東京15区補欠選挙にも出馬した須藤元気さん(46)。格闘家、芸能人、政治家として幅広く活動してきた中でのターニングポイントを聞いた。
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──フリーの立場で立候補した補欠選挙についてお聞かせください。
金権政治の閉塞感を打ち破りたかった。次は勝ちます。
──元々は格闘家として総合格闘技とK-1のリングで大活躍されました。ターニングポイントは?
今までいろんな瞬間がありました。3つ挙げます。まず1999年、プロの格闘家としてのデビュー戦に勝てたというのが最初のターニングポイントでした。デビュー戦から入場セレモニーをド派手にしたので「デビュー戦に勝たないと色モノで終わっちゃう」と不安でしたから、勝てた時はホッとしました。
もっと大きなターニングポイントはデビュー戦から半年ちょっとで東京ドームで試合ができたこと。僕はデビュー前からイメージトレーニングをずっと行ってきたんです。毎晩寝る前に瞑想し、将来の自分を思い描く。その中に東京ドームで試合をする自分もイメージしてきました。
それがすぐに実現したので「自分の思いがしっかりイメージできたら夢はかなう」と実感しました。イメトレはその後も続けて、やりたいことを実現させています。
その東京ドーム大会が「コロシアム2000」で、メインイベントが船木誠勝さんとヒクソン・グレイシー。僕は第2試合でした。
3つ目はK-1のデビュー戦。キックボクシングのK-1に進出したのは「テレビに出られる」という不純な動機もあったんです(笑)。当時の僕は強くなることの他に、とにかく有名になるという目的も持っていたので、大人気のK-1に挑みました。
ですが、僕はレスリングと柔術をやってきましたから、打撃系はまったく経験なし。今思えば格闘家としての一番大きな分岐点でしたよ。だってどうやっても勝ちようがないんですから(笑)。競技的にはテニスとバドミントンくらい違うんじゃないですかね。
■K-1では「変幻自在のトリックスター」と言われ注目された
試合までの練習期間が3カ月しかなく、キックボクシングのジムに出稽古に行くと白い目で見られました。K-1はデカイ会場でゴールデンタイムのテレビ中継があるから、みんな出たいじゃないですか。そこにキック未経験の僕がいきなりチャンピオンを決めるトーナメントに出て小比類巻選手と闘うわけですから妬まれますよね。
指導してくださった方からは「真っ向から挑んだら勝てるわけない」と言われ、体を反転させてのバックブローを提案されました。
「クルクル回れば、相手はカウンターとれないから」と。そればかり練習したのでトリッキーな攻撃になりました。自分にはあの攻め方しかなかった。それが僕のオリジナルの動きになり、「変幻自在のトリックスター」と言われるようになったんです。普通とは違うことをやるのは闘いの基本かもしれませんね。
K-1デビュー戦では負けたもののダウンを奪えましたし、僕のファイトスタイルがウケたみたいで、視聴者から「なんだあいつは?」と注目されました。
試合の翌日に東映のプロデューサーから連絡がきまして「テレビを見た監督からの依頼で、映画のメインの3人組の1人で出てもらいたい」と。それが窪塚洋介さん主演の「凶気の桜」(2002年)でした。