ジュリー社長はもともと辞めたがっていた…再発防止特別チームの「勧告」は口実を与えただけ
「私がここで全部脱いで、襲われたと警察に電話すれば、あなたは逮捕されるわよ!」
週刊現代の記者だった朝倉喬司を部屋に招き入れた“女帝”メリー喜多川は、取材の趣旨を聞くと、こう大声を上げた。
1981年春のことであった。その当時から、メリーの弟・ジャニー喜多川の性癖は噂になっていた。私と朝倉は、その真偽を確かめようと、別の口実でジャニー喜多川に取材を申し込んだが断られた。しかし、メリーが会ってくれるという。勇躍、朝倉が会いに行って、「弟さんは、スターになる素質を見分ける“独特の力”があるそうですね」と切り出した途端のことだった。
彼女は、弟が「病気」であることを知りながら、徹底的にジャニーを守り通すと心に決めていたのだ。
さて、ジャニーズ事務所が設置した「再発防止特別チーム」の座長、前検事総長で弁護士の林真琴も、報告書の中で、メリー喜多川は1960年代前半には弟の性嗜好異常を知り、少年たちへの性的虐待が続いていることも知りながら、放置・隠蔽したことが被害の拡大を招いた最大の要因であるとしている。