始まりはK-1時代 角田信朗さんは過食症に10年悩んだ
過食がピークだったころ、試合が終わった後はビールをジョッキ3杯から始まって、客単価が1000円ぐらいのお店で8000円ぐらいは食べていました。お腹がパンパンで苦しくなるまで食べてから、さらにコンビニに立ち寄り、決まってコーラ2リットル、氷、ポテトチップス、ジャムパン、エクレアなどを袋いっぱい買って帰るんです。
帰宅したら、トイレに行って口に指を突っ込んで、一度グワーッと吐いてから、コンビニで買ってきたものを胃に詰め込むだけ詰め込んで、また再び吐く。そして、胃薬を飲んで寝るのが一連のルーティンでした。それが約10年続きました。
過食の始まりは、ちょうど正道会館(現在は新日本空手道連盟)が「K-1」をスタートさせた1993年前後。選手でありつつ運営管理にも携わっていたので、ムチャクチャな忙しさだったんです。今から思えばノイローゼ気味でした。
ルール作りから出場交渉、専門家が作るような契約書の作成、競技管理まで、あらゆることが自分にのしかかってきました。しかも、できて当たり前だと思われていたんです。そんな無理難題を押し付けられても、やってのける自分がまた好きでしたが(笑い)。