死亡率8割の脳出血を乗り越えた俳優の野崎ゲレーロ聡史さん
■「顔の表情さえ動けば演劇はできる」と思っていた
50日間にわたる入院で脳出血は奇跡的にそのまま治癒し、手術はせずに済みましたが、腎不全と右半身不随は残りました。退院後はいったん山口に帰ってリハビリ生活をし、体が自由に動くようになってからアルバイトでお金をためて、30歳のときに再び上京しました。モチベーションは「演劇がやりたい」という思いだけです。
死亡率8割と言われても、腎機能がもって3年と言われても、車イス生活になると言われたこともありましたが、「顔の表情さえ動けば演劇はできる」と思っていたので、やめるつもりはありませんでしたし、悲観することもなかったです。なったものはしょうがないので、あとは病気に合った対処をするだけだと考えました。
透析が導入されたのは28歳からで、今でも週に3日、1回5時間以上かけています。本来はタンパク制限や水分制限を厳守するべきなのですが、幸い腎臓以外はすこぶる健康なので、少し自由にさせてもらう代わりに、飲み薬と長めの透析でリカバリーしているといったところです。