市川真由美さんが語るがんとの闘い「こんな体になっても生きなきゃダメ?」と毎日泣いていた
でも2年間薬を飲み続けた後、急にパ~ッと“もや”が晴れたのです。なぜだかわかりません。断薬しながらしばらく通院して社会復帰となりました。先生いわく「幼少期のつらい経験が出てきたのかもしれないね」とのこと。じつは私、実の母親に虐待されていたのです。その上、私が5歳のときにその母が家で首を吊るのを目の当たりにしました。
父の実家に引き取られて大事に育てられた後、3回目の母が来てからはその母に支えられています。だから今、自分の家族をすごく大事にしているんです。
余命宣告を受けたのは、うつ病が治って上の子が大学に入学した42歳のときでした。3人目の子を流産してしまい、その後すぐに子宮頚がんの再発がわかって手術をすると、「だいぶ進行している」とのことで転院を勧められ、そこで「今年いっぱい持つかな」と告げられました。
この年は本当に大変で、じつは夫もその頃、彼の父との関係でノイローゼになって2年寝込んでいたんです。ですから手術までの間に遠くに住んでいる私の弟に、もしものときのお葬式の手配や小学3年生だった下の子(女子)のことなどをお願いして、生命保険のお金を計算したりしました。