「成長したくない」と思うようになって…プロボウラーの安藤瞳さん摂食障害との闘い

公開日: 更新日:

安藤瞳さん(プロボウラー/35歳)=摂食障害

「先生や親に褒められたい」「いい子でいたい」という思いが強い子供でした。すべてが完璧でないと気が済まなくて、学校の成績は常にトップクラスでした。

 ところが、小学3年生ぐらいからなぜだか分からないけれど「成長したくない」と思うようになりました。体重が20キロを超えることが受け入れられなくて、毎日体重計に乗って体重を管理するようになったのです。

 初めはご飯のグラム数を量って食べ、次に油物を食べなくなり、その後はご飯も食べなくなりました。食べられる品目が徐々に少なくなって、最後はヨーグルトやゼリーしか口にしなくなって……。いわゆる「拒食症」でした。

 親に連れられて行った近所の小児科では分かってもらえず、紹介に次ぐ紹介で、4カ所目に行った隣町の病院で入院することになりました。

 見るからに危ない状態だったようで、心臓の近くに濃い栄養を入れるための手術をされました。でも、当時の私は「太らされる」と思い、せっかく手術してもらったのに針を自分で抜いてしまったのです。周りがみんな敵に見えていました。

 明日にも死ぬのでは?という状態の中、浜松の摂食障害専門医のいる病院に転院することになりました。それが小学4年生の夏です。そこで、カウンセリングに優れた先生と巡り合えたことが転機となり、今の私がいます。

 周りを信じていなかった私に、先生は4時間以上かけてカウンセリングをしてくれました。私が納得するまで話し合って、「体重が○キロ増えたら退院」というラインを決めました。先生の言葉の中で一番印象に残っているのは、「何があっても死なないでください」という言葉です。この“死なない約束”がその後のつらい治療を支え、今でもお守りのように胸に刻まれています。

 治療は厳しかったです。「認知行動療法」といって、いくつか制限を設けて進めていきます。たとえば、体重が100グラム増えたら部屋の中を自由に歩けるけれど、逆に100グラム減ったらベッドから出られないとか。面会は1日2時間厳守で、たとえ深夜に私が倒れても例外はありませんでした。実際、栄養不足で何度も倒れましたし、腸閉塞を起こして手術になったこともありますが、倒れれば親が来てくれると思わないように、面会時間は厳守されました。

 先生は、「摂食障害は苦しい。でも摂食障害になってあなたの命は延ばされたのです」とおっしゃいました。「摂食障害は長い時間をかけた自殺。もし摂食障害にならなかったらすぐに死ぬ道を選んだかもしれない」と……。

食べられるようになったら「過食症」に

 病気は悪いものと思っていましたが、「一緒に手をつないで人生という道を歩いていくものなんだ」と意識が変わったのはその頃からです。だからといってすぐに回復に向かったわけではありませんが、先生は家族へのカウンセリングも行い、家族が一緒に頑張る土台をつくってくれました。

 それまでの私は家族に本音を言ったことはありませんでした。でも約束の体重まで増えて、退院した後は家族がすごく変わって、少しずつ本音を出せるようになったのです。

 抑えていた分、ぶわっと噴き出してぶつかることもありましたが、先生は回復の過程で起こるいろいろなことを前もって家族に伝えていたので、そこから逃げずに家族全体で本音を言える空気ができていきました。

 食べられるようになったら、今度は体重を増やしたくないのに食べてしまう「過食症」になりました。吐くことはありませんでしたが、絶食と下剤を大量に飲むようになりました。

 ほとんど行けなかった小学校はギリギリ卒業できましたが、これから頑張ろうと思っていた中学校も1年生の最後にまた食べられなくなり、2年生から再び入院しました。自分がこのままでは危ないことが分かっていたので、食べられるものを食べるように努力し、カウンセリングで考え方の改善を図りました。成績は良かったので中学も卒業はできました。ただ、高校は通信制を選びました。

 ちょうどその頃、プロボウラーに教えてもらえる教室に参加したのがきっかけで、プロボウラーを目指すようになりました。小さい頃からなぜかボウリングだけは好きだったんですよね。

 ボウリング場でアルバイトをしながら勉強し、痩せた体で練習しました。自分でもどこにそんな体力があったのかと思いますけど、10ゲームぐらい投げられたのです。高校生でスコアのアベレージは180ぐらい。でも、それではプロは無理。伸び悩んで病気をぶり返しそうになったときもありましたが、21歳のときにプロテストを受けて一発合格したのです。テスト前は追い詰められて食べられなくて体重は38キロぐらいしかなかったのに、合格できて自分でもびっくりしました。

 プロになってからも症状との闘いはありました。でも、30歳を過ぎてだいぶ落ち着きました。

 どんなことがあっても、たとえ自分が許せなくても、死んではいけない。「頑張れ」とは思わないけれど生きていなければ見えないものがある。病気を通して、私はそう学ばせてもらいました。

(聞き手=松永詠美子)

▽安藤瞳(あんどう・ひとみ) 1988年、愛知県出身。東名ボール(愛知)所属。中学3年生でボウリングに目覚め、2010年、21歳でプロテストに合格。BS日テレで放送されているPリーグ(「ボウリング革命P★League」)では、「キューティーアイズ」のキャッチフレーズで知られる。自身の経験から摂食障害に関するイベントや講演も行っている。



■本コラム待望の書籍化!愉快な病人たち(講談社 税込み1540円)好評発売中!

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    永野芽郁“”化けの皮”が剝がれたともっぱらも「業界での評価は下がっていない」とされる理由

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    僕の理想の指導者は岡田彰布さん…「野村監督になんと言われようと絶対に一軍に上げたる!」

  4. 4

    永野芽郁は大河とラジオは先手を打つように辞退したが…今のところ「謹慎」の発表がない理由

  5. 5

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  1. 6

    大阪万博「午後11時閉場」検討のトンデモ策に現場職員から悲鳴…終電なくなり長時間労働の恐れも

  2. 7

    威圧的指導に選手反発、脱走者まで…新体操強化本部長パワハラ指導の根源はロシア依存

  3. 8

    ガーシー氏“暴露”…元アイドルらが王族らに買われる闇オーディション「サウジ案件」を業界人語る

  4. 9

    綱とり大の里の変貌ぶりに周囲もビックリ!歴代最速、所要13場所での横綱昇進が見えてきた

  5. 10

    内野聖陽が見せる父親の背中…15年ぶり主演ドラマ「PJ」は《パワハラ》《愛情》《ホームドラマ》の「ちゃんぽん」だ