与田剛が「自分の人生変えた」と話すキューバ戦の先発登板
中日ドラゴンズの監督を務める与田剛とは今も会えば、1989年のキューバとの国際親善試合(全5戦)の第1戦で先発した際の話になる。
当時、NTT東京に所属していた与田は、その大会で初めて、日本代表のユニホームを着た。エース格だった野茂英雄(新日鉄堺)が右肩の違和感を訴えたこともあり、私はあえて与田に託した。
与田に先発を告げた時、「僕ですか?」という感じで大変驚いていた。与田自身も、野茂が先発するものだと思っていたのだろう。そんな試合で3回を1安打無失点と好投。潮崎哲也(松下電器)、野茂とつないで4―1で勝利した。与田は先発のチャンスを生かしてくれた。
与田のストレートは150キロに迫り、野茂と比べても遜色はなかった。スライダーも素晴らしかった。
キューバ戦で好投した89年、ドラフト1位で中日へ入団することになるのだが、都市対抗などを視察していると、右打者が一塁カメラマン席の方向へライナーでファウルを打つことが多かった。打球が飛びやすい金属バットでも、与田のストレートに対応しきれない。それほど、球威とキレのある球を投げていた。